あつみ温泉の堰堤

 
 5年ほど前、遠くに住む友だちから「あつみ温泉の萬国屋(ばんこくや)は実にいい。また泊まってみたい」とせがまれたことがあります。「宿代はお前さん持ち。タダで泊まりたい」と、ずうずうしいこと、この上ない。その頃、私は転勤生活に区切りをつけて、生まれ育った山形県に40年ぶりに戻ったばかりでした。庄内のことには疎く、この旅館のことも知りませんでした。それ以来、ずっと「そんなにいい旅館なら、一度は泊まってみなければ」と思っていました。この夏、思い切って行くことにして電話で予約を入れました。

 

私 「日曜日の夕方からなんですが、空いてますでしょうか?」

旅館「はい、ご用意できます」

私 「海に面した部屋をお願いします」

旅館「・・・・ あの~、海は見えないんです」

私 「?? あつみ温泉は海沿いにあるんですよね?」

旅館「いいえ、周りは山なんです」

 

 人間、何事も思い込みは禁物です。伊豆の熱海(あたみ)温泉は海辺にあります。温海(あつみ)温泉も似たような地名なのだから海に面しているに違いない、と勝手に思い込んでいたのです。実際は、庄内浜から車で10分ほどの山あいにある、落ち着いた雰囲気の温泉でした。老舗旅館の萬国屋はロビーも温泉も広々として、実にゆったりとしています。働いている人たちの対応も含めて、とても気持ちのいい旅館でした。

 

 旅館の前を流れる温海川のたたずまいが、またいい。透き通った水がゆるやかに流れていました。川べりを歩くと、小さな堰堤(えんてい)がありました。写真のように、左岸側は階段状に流れ落ち、右岸側はこんもりとした形につくってあります。一目見て、「大分県竹田市にある白水(はくすい)ダムを参考にしたのでは」と感じました。

f:id:yamagata-ujissen:20140826070222j:plain

 土木技術に関心を持つ人の間で、白水ダムは「日本で一番美しいダム」として知られています。日中戦争のさなか、1938年(昭和13年)につくられ、今も地域の田畑をうるおしています。物資が乏しい中、世情も落ち着かない時期に、こんな美しいダム(堰堤)をつくった土木技術者がいたことに驚きます。次の写真を見れば、その見事さが分かるのではないでしょうか。

f:id:yamagata-ujissen:20140903132141j:plain
 

 白水ダムの美しさを分けてもらったかのように、温海川の清流をすずやかに弾き、白い流紋を描く堰堤。温泉の心地よさというのは、広々とした露天風呂や豪華な料理に加えて、こうした風景が添えられることで膨らんでいくのだなぁ、としみじみと思った旅でした。

(岡)