地域で働くということ

最近、よく映画を見に行きます。山形市民会館の裏側、そのすぐ南隣に、フォーラム山形という映画館があります。シネコンでは上映されそうにない映画――古い名作から、ドキュメンタリー、マイナーな新作まで観ることができる、山形では貴重な映画館です。そこで、『ワーカーズ』というドキュメンタリー映画を観てきました。

 

映画の舞台は、東京都墨田区。この地域で「協同労働」とよばれる働きかたをしている人々の姿が描かれます。協同労働とは、

働き手が出資者になり、一人ひとりが経営も労働も担う働き方の形。日本には協同労働の組合を規定する法律がないため、形態はNPO法人など様々。ワーカーズコープやワーカーズコレクティブとも称され、イタリアなど欧州では30年以上前から実践されている。介護や教育、育児など、地域社会に必要とされる仕事を協同で起こし、地域の雇用確保の場にもなっている。*1

というものです。協同労働では、普通の会社のように、株主がいて経営者がいて従業員がいて、というのではなく、みんなで出資して話し合いながら経営しつつ働く、というスタイルをとります。

 

映画『ワーカーズ』では、児童館、高齢者の健康増進施設、介護事業所で働くワーカーズコープの職員と、地域住民の姿が活写されています。

 

ある児童館では、新たにもちつき大会の企画をしています。このもちつき大会は、これまで20年来子ども会の恒例行事として地域の人々の協力のもと催されてきました。しかし、子ども会が解散してしまったため、もちつきの企画も一緒に無くなってしまったのです。そこで、児童館が代わりに開催しようということになったのですが、若い職員たちはもちつきをしたことがなく、何をどれくらい準備する必要があってどのような手順で進めるのがいいか、全くわかりません。もちつき大会担当の職員は、通常の業務も抱えています。他の職員もあまり協力的ではない。悩んだ結果、旧子ども会でもちつきの準備を長年担っていた方に相談しました。すると、子どものためなら、ということで指導者として関与してくれることになり、その方が町内の別の方にも協力を仰ぎ、さらにその協力者の方が町内の別の方にも...と町の長老ネットワーク(!?)のサポートを受けることができるようになったのです。もちつき大会は無事成功を収め、地域の子どもや保護者、高齢者が参加し交流する充実したものとなりました。おそらく、今後も恒例行事となることでしょう。

 

この例では、地域に在って、そのままでは消えていってしまうような既存の文化的蓄積を、若い世代が引継ぎ、地域の人々の交流の機会につなげています。一見ささやかながら、とても重要な仕事であると思います。

 

また、高齢者向けの健康増進施設で、施設長として働いているある職員の方の、自らの経歴についてのお話は、特にインパクトのあるものでした。大学卒業後、中学校の教師として就職しましたが、その頃は、校内暴力全盛の時代。ある年の体育祭では、開催中、バイクに乗った不良たちが校庭に入ってきて、会場をめちゃくちゃにしてしまいます。その職員の方――若き日の先生は、怒りに燃え、職を辞する覚悟で、外までその不良たちを追いかけて行き、リーダーをボコボコにします。リーダーに、もう二度と学校には入ってこない、と誓わせ、学校に戻って同僚や生徒にその旨を伝えると、歓喜の声が沸き起こって...というエピソードも、今となっては良い思い出だと、先生は語ります。ところが、そんな教師生活を過ごすうち、あるとき息子さんがアルコール依存症になってしまいます。家庭は崩壊し、職場である学校も荒れているなかで、精神的に追い詰められ、教師を続けることも困難になりました。離婚し、職も辞し、全てを捨ててゼロからはじめようと、派遣の肉体労働やコンビニのバイトで食いつないでいるうちにようやく見つけたのが、ワーカーズコープの仕事だったといいます。高齢者への運動指導や地域のイベントでの司会をしている姿には、活気があふれています。やりがいのある仕事をすることの喜びを語る職員の方の姿は、大変印象に残りました。

 

ただし、このような記事をみると、ワーカーズコープも問題を抱えていることがわかります。当然ながら、やりがいだけでは仕事はうまくはいかないようです。

 

また、この映画では、ワーカーズコープの方々のドキュメンタリーの合間に、芸人の松元ヒロさんの一人漫談が、何度か挿入されます。これが、本筋の人々のエピソードを、ある政治的なイズムの方向に引っ張ってメッセージ化しようとしてしまっているもので、私個人の感想しては、ちょっとなあ...と思いました。それでも、魅力的な映画だとは思います。

 

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映画冒頭では、東京スカイツリーのクローズアップから、ズームアウトしてその下に広がる墨田の街へとカメラが向けられます。巨大なスカイツリーと対比されるように、家々の稠密するミニチュアのような町並みが映し出されるのです。東京スカイツリーは、「世界で一番高い塔」であるということですが、それが象徴しているような、なにか大規模で抽象的な偉大さからは遠く離れた場所で日々はたらいている人たちの、もっと地道で、しかし偉大なさまを、この作品は描き出そうとしているのかもしれません。(内)